トランプ氏に日米安保サヨウナラを言おう-対米従属80年からの訣別
一橋総合研究所CEO
白馬会議事務局代表
市川 周
ペリー、マッカサー、そしてトランプー日米関係80年周期説
2025年は対米敗戦80周年だ。80年というのには不思議な響きがある。マッカーサーが厚木に降りたった1945年から日本の戦後レジューム、正確には「敗戦後レジューム」が始まった。さらに敗戦から80年程さかのぼれば幕末日本の風景が広がる。そこに超然と立っているのが黒船で来航したペリーだ。ペリー来航は正確には1853年で江戸幕府崩壊より10年ほど早いが、彼の登場により明治維新への導火線に火がついた。当時、ペリーのアメリカは日本にとって西欧文明の玄関口であり、羨望・崇拝の対象であると同時に強大な文明力を有する恐怖・警戒すべき存在であった。このアメリカを学習相手に日本は友好・協調の関係から熾烈な競争関係を形成していくことになるが、太平洋戦争で激突し叩き潰されてしまった。
ペリー来航以来の日米関係を次の80年に向けて1945年に大転換させた強面(こわおもて)のアメリカンヒーローがマッカーサーだ。当時の日本人はこの占領軍の最高司令官をペリー以上に畏怖し、恐怖したに違いない。彼が率いた GHQ(General Headquarters:連合国総司令部)は日本に徹底した被占領国体制を築いた。それから80年後の今、トランプというペリーやマッカサーに似た雰囲気を醸し出すアメリカンタフガイが大統領として返り咲き、日米関係に新たな大変動を招来させるのではないかという不気味さを漂わせている。
トランプの大統領選勝利演説は日本人への挑発?
米大統領選投票の翌日11月6日未明に圧勝の気配を察したトランプはすかさず南部フロリダ州の集会で勝利演説をしている。この演説は勿論米国民に対するメッセージではあるが、聴きようによっては対米敗戦80年を迎えようとしている我々日本国民を大いに刺激し、ある意味挑発するものであった。
この演説で気になったところが2つある。先ず演説冒頭の「あなた方は記録的な数で投票に向かい、勝利をもたらした。あなた方に恩返しをする。この日は永遠に、米国民が国の支配を取り戻した日として記憶されるだろう。」 のくだりだ。この「国の支配を取りもどした日」というのはトランプ支持者たちにとっては、「ディープ・ステート」陰謀論に出て来る民主党歴代政権やFRBやFBIそしてCIA等の国家中枢に潜む「邪悪分子」への勝利宣言を意味するのであろう。では我々日本国民は国の支配を自らの手でしっかり握っているのか?米軍に占領されてから80年間も彼らの国内駐留を認めて来た日本は真に「国の支配」を取り戻したと言えるのか?この演説を聴きながら図らずも妙な連想的自問が湧いて来た。
もう1つ気になったのがこの演説の中でトランプがコモンセンス(common sense)という言葉を二度も繰り返していることだ。「この選挙運動は最も大きく、広範で、団結した同盟を築いた。若者も高齢者も、男性も女性も、農村部でも都市部でもそうだ。労働組合員、非労組員、アフリカ系、ヒスパニック(中南米系)、アジア系、アラブ系、イスラム教徒の米国人。あらゆる生い立ちの市民をコモンセンスの下に団結させた。(historic realignment uniting citizens of all backgrounds around a common core of common sense.)・・・・我々はコモンセンスの党だ。(You know, we’re the party of common sense.)」
コモンセンスという言葉の原点はアメリカ国民を対英独立戦争(1775年~1783年)に向けて奮い立たせたトマス・ペインの歴史的名著『コモン・センス』にあるが、「常識」と訳したら真意は伝わらない。「自明の理」といった方がピンと来る。本書でペインはアメリカ国民がイギリスの植民地であることに疑問を感じないとすれば、まるで太陽が地球の周りを回っていると思いこんでいるのと同様だと言わんばかりにその非合理性を糾弾した。では、我々日本国民が敗戦後80年間も占領軍の国内駐留に疑問を持たないとすれば、英国植民地下にあったアメリカ人同様、独立国家としてのコモンセンスを見失っているということではないのか?ここで又、コモンセンスを持ち出したトランプ演説は我々に連想的自問を喚起させる。
トランプが誘引する対米従属離脱
トランプ大統領の再登場で日米関係はどう大転換するのか? ホワイトハウス一期目の時も様々な議論,憶測が飛び交ったが,「敗戦後レジューム」の観点から見た大転換の最大の焦点は在日米軍の規模縮小さらには全面撤退の可能性だ。この議論の根底には従来からアメリカ側が有する費用負担への根本的な不満があったが,これに加えてトランプ政権には中国脅威に対する根本的な見直しがあることを見逃してはならない。今,中国経済は鄧小平以来の社会主義市場経済システムの構造的ボトルネックに直面しており,GDPで早晩アメリカを抜くという議論は影を潜めてしまった。そのうえ移民大国アメリカの人口成長力も少子高齢化に喘ぐ中国を全く突き放してしまった。「中国恐れるに足らず」であり,その隣国日本にアメリカの兵器と兵士を置き続ける意味が果たしてあるのか。トランプのみならずアメリカ人の多くにそんな疑問が生まれて来てもおかしくない。
一方、アメリカに敗北し占領されてから80年間,延々と彼らの軍隊を国内に駐留させ続けた日本側には在日米軍と,その基本となっている日米安全保障条約について,いつも吸っている空気のような感覚が蔓延し違和感も反発もなくなってしまったという現実がある。驚くべきことに,今年9月の自民党総裁選挙には9名ものの立候補者が出ていたが,当初討論の場では日米関係が殆ど話題にならなかった。その中では日米地位協定見直しやSEAN版NATO等積極的な議論をしていた石破茂氏が目立っていたが、その彼も首相就任以後の口ぶりは一気に重たくなってしまった。
「占領軍をこちらから追い出すわけにはいかない。追い出す度胸も展望も自信もない」。これが「敗戦後レジューム」の忠実な協力者であり続けた自民党を始めとした日本の政治家たちの本音なのではないか。但し,日米安保条約を廃棄する手立てはびっくりするほど簡単だ。日米いずれかの締結国が宣言すれば1年後には自動終了する。日本の場合,外国との条約法案は最終的に衆議院での過半数議決で処理される。憲法改正のように三分の二の衆参両院議決の上,国民投票での過半数承認というようなハードルの高いものではない。その気になれば安保条約廃棄はかつての自公政権でも可能だった。しかし,日本共産党以外,安保条約廃棄を明示している政党はない。日米関係の最初の80年が友好から猜疑・恐怖そして激突の時代であり,2回目の80年は「敗戦後」が延々と続いた「対米従属」の時代であった。今、そのアメリカが相対的に日本へのコミットを後退させ始めているとすれば,「占領軍」は追い出すまでもなく自ら去り,アメリカの過剰な関与は希薄化することになるはずだ。将に対米従属離脱のチャンス到来なのに何故、日本の政治家たちは奮い立たないのか。
一身独立して一国独立するー福沢諭吉の「遺言」
トランプショックはそんな対米従属離脱のチャンスを与えてくれるかもしれない。問題は我々日本国民の覚悟と準備だ。たとえアメリカが去っても、対米従属80年が習い性になっておれば別の国との新たな依存構造に引きづりこまれてしまうだけかもしれない。その相手が中国だとすればこれ以上の悪い冗談はない。トマス・ペインの『コモン・センス』が出版されてから丁度100年後の1876年に福沢諭吉の『学問のすゝめ』が世に出た。同書第二編にある「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」はあまりにも有名だが、福沢がペリー来航の余韻収まらぬ日本人たちに真に訴えたかったメッセージは続く第三編の「一身独立して一国独立する」であり「独立の気力なき者は国を思うこと深切ならず」であった。この気概が日本人に満ち満ちておれば、あの無謀な対米戦争に追い込まれることはなかっただろう。今こそ対米従属という国家的負債からきっぱりと離脱するためにこの福沢の「遺言」を思い出し真剣に受けとめねばならない。日本が真に独立国家として蘇れば米・中・日のパワーバランスは収まるところに収まる。日本のポジジョンもおのずから定まり、将にコモンセンスの世界に活路は開かれるに違いない。